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名古屋高等裁判所 平成元年(う)262号 判決 1996年12月16日

主文

原判決中被告人両名に関する部分を破棄する。

被告人Bを無期懲役に、被告人Aを懲役一三年に処する。

被告人Aに対し、原審における未決勾留日数中四〇〇日をその刑に算入する。

被告人Bから、押収してある中古青色ビニール製洗濯用ロープ一本(当庁平成元年押第五一号の八)を、被告人A及び被告人Bから、押収してある中古青色ビニールひも一本(同押号の九)をそれぞれ没収する。

押収してある自動車運転免許証一通(当庁平成元年押第五一号の六)を被害者Yの相続人に、透明プラスチック製の入れ物一個(同押号の一二)、ファッションリング一個(同押号の一三)、ブローチ一個(同押号の一四)、ペンダント付きネックレス一個(同押号の一五)、ボタン一個(同押号の一六)、ワイドミラー一個(同押号の一七)、中古タオル掛け一個(同押号の二四)、櫛一本(同押号の二五)及び白色縫いぐるみ二個(同押号の二六、二七)を被害者Z子の相続人に、それぞれ還付する。

昭和六三年三月一九日付け起訴状公訴事実第二の一の事実について、被告人Aは無罪。

理由

被告人A関係の控訴の趣意は、弁護人稲垣清名義の控訴趣意書、控訴趣意書補充書及び上申書に、並びに名古屋高等検察庁検察官検事川瀬義弘提出の名古屋地方検察庁検察官検事友野弘名義の控訴趣意書に、被告人B関係の控訴の趣意は、いずれも解任前の、弁護人水谷博昭、同多田元、同加藤毅、同鈴木次夫、同白浜重人連名の控訴趣意書、同水谷博昭名義の控訴趣意書補充書、同舟木友比古、同安田好弘連名の控訴趣意書補充書及び同舟木友比古名義の控訴趣意書補充書(その二)に、これに対する答弁(被告人B関係)は、名古屋高等検察庁検察官検事秋山富雄名義の答弁書及び答弁書訂正申立書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用し、各論旨について、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。

(なお、用語について、以下、原則として、被告人A及び同Bは、「A」「B」と、同様に、原審相被告人C、同D、同E子及び同F子についても、「C」「D」「E子」「F子」と、姓のみを用い、その集団について、「被告人ら〇名」という表示をすることがある。

また、書証は、「司法警察員に対する供述調書」「検察官に対する供述調書」を、それぞれ「警察官調書」「検察官調書」と略称し、特定のため、その作成日付けを要する場合には、「昭和六三年」の部分を省略し、月日のみで表示し、必要に応じて、(検乙一)というように、原審証拠等関係カードの番号を付記する。

原審及び当審で取り調べた証人及び被告人の各供述についても、原則として、公判手続更新前のもの及び裁判所外の裁判所又は受命裁判官による証人尋問を含め、すべて「原審証言・供述」「当審証言・供述」と表示する。)

第一  訴訟手続の法令違反の論旨について(A関係の控訴趣意第四及び第五)

一  所論は、要するに、Aは、Y(以下「Y」という)殺害(原判示第四の一)の共謀に加担していないのに、原審は、<1>いずれも、任意性に疑いがある、Aの三月五日付け警察官調書、同月一二日付け、同月一三日付け、同月一七日付け及び同月一九日付け各検察官調書を採用し、また、<2>いわゆる特信性のない、Bの三月一三日付け及び同月一四日付け各検察官調書を刑訴法三二一条一項二号書面として採用した上、これらを、Y及びZ子(以下「Z子」という)に対する殺人、死体遺棄(原判示第四の一ないし三。以下「本件各事実」という)を認定した証拠として挙示し、本件各事実に関する被告人ら六名の共謀が後記のオートステーションで成立した旨認定したものであるから、原審の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反がある、というのである。

しかし、原審記録を検討すると、Aの前記各供述調書の任意性は、これを肯定できるし、Bの前記各供述調書についても、特信性を認めることができるから、右の各供述調書を証拠として採用した原審の訴訟手続に、所論のいうような法令違反はなく、当審におけるA及びBの各供述を併せて検討しても、右の判断を左右するものではない。以下、補足説明をする。

二  Aの前記各供述調書の任意性について

所論は、Aの前記各供述調書は、被告人ら六名の間で、昭和六三年二月二三日午前七時三〇分ころから同八時ころの間に、愛知県海部郡弥富町所在の食堂・喫茶「オートステーション」(以下「オートステーション」という)において成立したとされる共謀の経緯、内容、及びこれに関わるAの行動、心境に関する供述を記載したもので、

1  三月五日付け警察官調書(検乙三)によれば、<1>アベックを拉致した動機として、「ちょっとひどくやりすぎてしまい、サツにチンコロされたらヤバイ」と思い、自分も賛成した、<2>(オートステーションで)「女を売りとばそう、男は、どっかに監禁しよう」という話から、最後には「ふたりとも殺してしまおう」ということになった、<3>どうやって殺そうという話もしているが、自分が「殺すんなら生コンづめにして港に沈めたらいい」(以下「生コン発言」という)と言った覚えがある旨が、

2  三月一二日付け検察官調書(検乙一二)によれば、<1>Bが「男は、やっちゃおう。女は、どこかに売り飛ばそう」と言い出し、BとCの話で二人を殺す計画がまとまったころ、意見を聞かれて、自分も「そうしようか」とうなずいた、<2>Bが「甲野会の墓のあるところで殺そう」「首をしめよう」と言っていた、<3>自分も生コン発言をした旨が、

3  三月一三日付け検察官調書(検乙一三)によれば、二人を(Z子は売りとばせなかったとき)殺すことに決めた時も、まだ、はっきりと殺す場所や時期を決めてもおらず、場合によっては、予定を変更して二人を殺さないことになるかも知れないという期待が、まったくなかったわけではない旨が、

4  三月一七日付け検察官調書(検乙一八)によれば、<1>殺しの時は、前もって、Bから、連絡が来ると思っていたし、そのときは、出かけて行って手伝うつもりだった、<2>Bが別れ際に「明日、一〇時に連絡する」と言った時には、それまではY・Z子を殺すことはないと思っていた旨が、

5  三月一九日付け検察官調書(検乙一九)によれば、<1>翌朝午前一〇時に、Bから連絡を受けることにして別れたが、BがそれまでYたちを生かしておくつもりだろうと思って別れた、しかし、それまでの間にBの気持ちが変わり、場合によっては、二人を殺さないことになるかも知れないという期待があった、<2>そうはいっても、二人を生かして帰せば、警察に届けられて、パクられることもはっきりしていた、<3>Bたちの気持ちが変わり、自分への連絡なしに、Bたちだけで二人を殺してしまうなら、それはそれで構わないと思っていた旨が、

それぞれ記載されているところ、右の供述記載は、客観的な事実経過に整合しない、取調官の事件に対するイメージが強く反映されたものであるのみならず、Aは、他の共犯者らが見聞しているという事実について、「みんなが聞いている」「Aだけが知らないというのはおかしい」などといった捜査官の誤導・誘導や押しつけを交えた理詰めの追及を受け、当初、認識していない、記憶していない旨の供述をしても、これを調書に記載してもらえず、長時間に及ぶ取調べや捜査官との押し問答の苦痛等から、自己の主張を貫くことを諦め、捜査官に迎合し、妥協したことにより、オートステーションの共謀に関わる自白ないし不利益事実の承認をしたもので、任意性を欠き、いずれも証拠能力がない、というのであり、Aも、原審(第九回公判)及び当審(第五~九回公判)において、これに沿う供述をし、さらに、取調べに当たった警察官からボールペンで頭を小突かれ、机の下で足を蹴られるなどの暴行を受けたり、所属する組事務所にガサを入れると脅されたりした旨の供述(当審第五、六回公判)までしている。

そこで検討すると、本件各事実は、Aを含む被告人ら六名が、原判示第三の、同年二月二三日午前四時三〇分ころ、名古屋市緑区鳴海町所在の県営大高緑地公園第一駐車場で犯した、Y・Z子に対する強盗致傷、強盗強姦事件(以下「大高事件」という)後の拉致に引き続いて、一両日の間隔を置き、順次、行われた両名に対する殺人、死体遺棄事件であり、原判示第四の事実の冒頭において、「(第三の)現場からY・Z子を連行した上、同日(二月二三日)午前七時三〇分ころ、オートステーション店内において、Bが、第三の犯行の発覚を免れるため、Yは殺害し、Z子は他に売り飛ばせなかった場合、同様に殺害し、両名の死体を土中に埋めて遺棄することを提案し、Cが積極的に賛同したのに続き、A、E子及びF子も賛同し、同八時ころ、同店駐車場で、Bからその旨聞かされたDも賛同し、ここに被告人六名は共謀の上」(要旨)と認定されているところ、右のオートステーション店内での話合いにはAも同席していたこと、C及びAの両名が、Y殺害の現場(同第四の一)に同行していなかったことなどは、捜査機関において、すでに把握していたものであり、共謀共同正犯の成否がからむAの取調べに当たった捜査官において、店内における話合いの経緯、内容等に関し、B、C、E子及びF子の供述内容をふまえ、これらと符合しない供述を重ねるAに対し、これを理詰めの追及と呼ぶかどうかはともかく、相当厳しい追及をしたであろうことは想像に難くない。

しかしながら、シンナーを吸っていた影響があるにせよ、部分的には自己の言動やBらの発言内容について供述するAに対して、捜査官が、Bらの供述等からうかがわれるA自身の発言やBらの発言に対する認識の有無をただし、記憶を喚起させ、具体的な供述を引き出そうとすることは、それが誤導や不当な誘導等の、供述の任意性に影響を及ぼすものでない限り、捜査手法として許される枠内のものであるところ、原審記録によれば、Aに対する取調べは、連日深夜に及ぶというような異常なものではなかったこと、Aの原審供述をふまえ検討しても、前記各供述調書の内容にきわめて不自然、不合理な点までは認められず、Bらの供述内容との対比においても、一致していない否認箇所が複数あって、誤導ないし不当な誘導が行われたことを疑わせる形跡がないこと、とくに、原審の弁護人でさえ、第三回公判において、前記各供述調書につき、「任意性を争うものではない」旨の意見を表明していたものであることなどに徴すると、その供述の任意性に影響を及ぼすような取調べがあった疑いは認められない。

さらに、取調べに当たった警察官による暴行、脅迫をいうAの当審供述は、原審においてまったく出ていなかった事柄で、にわかに措信し難いし、他に、各供述調書の信用性についてはともかく、その供述の任意性に影響を及ぼすような、具体的事実は見当たらない。

三  Bの前記各供述調書の証拠能力について

所論は、Bの原審証言(Aの第五回公判におけるもの)と、同人の三月一三日付け検察官調書との間には、オートステーションで、本件各事実に関する共謀の成立を肯定できる真剣な話合いがなされたか、殺害場所として甲野会の墓という話が出たか、死体を埋める場所に関連して、前記の「生コン発言」があったか、などの点で相反する部分があり、また、同月一四日付け検察官調書との間にも、Y殺害後に、BがAに電話をした際のAの応答や、Aの反応に対するBの考えなどについて、相反する部分があるところ、Bの前記各供述調書自体が捜査官の誘導等によるもので、Bの原審証言による「訂正」をもたらしても、不自然ではない脆弱性、問題性をはらんでいたものであり、右原審証言の信用性のほうが高いのに、Bの前記各供述調書の特信性を肯定したことは誤りである、という。

そこで、Bの右各供述調書の特信性の有無につき検討すると、

1  Bの三月一三日付け検察官調書(検乙三一)には、オートステーションの店内で、

<1>自分が、「男は怪我もかなりひどいし、やっちゃおう。女はどこかへ売り飛ばそう。その前にキャッシュカードで金を引き出させるか。これができんなら、女も帰すわけにはいかんから、やるしかないぞ。顔を見られているでなあ」と言ったところ、皆は少し驚いたような顔をしたが、すぐ真剣な顔になった、E子が、本当にやるのと聞いてきたので、やるしかないぞと念を押すと、Cは、そうするしかないんじゃないなどと、Aは、やっちゃうかなどと、E子は、仕方ないねえ、やるしかないねえなどと、F子も、そうだねえなどと、言ってきたので、皆一緒に殺す気持ちになったと思った旨の、

<2>自分が、「首を絞めて殺そうか、甲野会の墓あたりで殺して埋めてしまえばいい」などと言った旨の、

<3>死体の後始末について、誰が言ったか覚えていないが、「コンクリート詰めにして港に沈めたらいい」などと言ったので、自分は、その方法では機械などが必要で面倒くさいと思った旨の、

供述記載があるところ、これに対し、Bは、原審において、

<1>オートステーションでは、Y・Z子を殺すという言葉は出ていたが、実際やろうとは思っていなかった、冗談というか、格好づけというか、そういう気持ちで殺すということを言った、F子やAが話した内容は覚えていない、自分の考えに皆が賛成したか、真剣な顔になってきたかは、いずれも覚えていない旨の、

<2>殺す場所の話はしていない、甲野会の墓のある所で殺したらどうかという話は、「すかいらーく」でCと話している時に出たものである旨の、

<3>死体の後始末の話の中で、生コン発言が出たかは覚えていない旨の、

いずれも、右調書と相反する証言をしていることが認められ、

2  Bの三月一四日付け検察官調書(検乙三二)には、Yを殺害した後、Aの部屋に電話をかけたところ、Aは「電話を待っていた」などと言った、それで「男はやった、後は女だけ」などと言うと、Aは「もうやったの、本当か」などと言って、少し驚いた様子だった、Yを早く殺したことでAが驚いたのかと思った旨の供述記載があるのに対し、Bは、原審において、Aが電話を待っていたというような返事をしたか覚えていない、Yを殺す時期が早かったのでAが驚いたのかは分からない旨の、右調書の内容と相反する証言をしていることが認められる。

Bは、原審において、本件各事実を含む公訴事実のすべてを認めていたもので、原審弁護人も、Y・Z子殺害の共謀がオートステーションで成立したことを争ってはいなかったところ(ただし、共犯者の中に、Aが含まれることを積極的に肯定していたものではない)、Bの前記証言は、Y・Z子殺害等の共謀は、いまだ、オートステーションでは成立していないとするもので、オートステーションでの共謀に基づくYに対する殺人の責任はない旨主張しているAと、共謀成立の時期に関する限度では、共通する事実認識に変わったこと、Bの前記証言は、その多くが、検察官又は弁護人の尋問に対して、分からない、覚えていない、などと答えるに止まる、あいまいで記憶の不鮮明さをうかがわせる内容のものとなっていることが顕著であることなどが認められ、これらに照らすと、Bの前記各供述調書の特信性は、原審における審理経過にかんがみ、A関連における実質的な証拠価値のいかんはともかく、これを肯定できるものというべきである。

四  なお、B関係で、弁護人は、原審裁判所は、本件各犯行が、少年らによる集団犯罪であることに思いを致し、とくに、少年法五〇条、九条の精神に基づき、集団の特質やBの心理状況を専門家に鑑定させるなどの審理を尽くすべきであったのに、これを怠った原審の訴訟手続には、審理不尽の違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである旨主張するが、右は、その実質において、量刑不当の論旨に帰するものであるのみならず、所論のような証拠調べ請求もなく、原審は、Aを除く、被告人ら五名の少年調査記録を取り寄せ、家庭裁判所調査官作成の少年調査票や少年鑑別所作成の鑑別結果報告書等を取り調べていることに徴すれば、原審の訴訟手続に所論のいうような審理不尽はないというべきである。

訴訟手続の法令違反の論旨は、いずれも理由がない。

第二  事実誤認の各論旨について(A関係の控訴趣意第二、第三、及びB関係の控訴趣意第二)

一  殺人及び死体遺棄の共謀に関するA関係の事実誤認の所論は、要するに、原判決は、Y殺害の事実(原判示第四の一)について、昭和六三年二月二三日午前七時半ころ、オートステーション店内において、Bが、大高事件の犯行の発覚を免れるため、Yは殺す、Z子は、他に売り飛ばせなかった場合には、同様に殺し、両名の死体を土に埋めて遺棄することを提案し、C、E子、F子及びAがこれに賛同し、同日午前八時ころ、同店駐車場において、Bからその旨を聞かされたDもこれに賛同し、ここに、被告人ら六名が、Y・Z子殺害、死体遺棄の共謀を遂げた旨認定しているが、右同所では、いまだ、Y・Z子殺害等の共謀は成立しておらず、右の共謀は、B及びCが、翌二四日午前二時半ころ、名古屋市熱田区所在のレストラン「すかいらーく」熱田一番店(以下「すかいらーく」という)において、いったん解放したY・Z子を連れ戻したころに成立したものであり(Aは、その場にはいなかった)、仮にオートステーションでY殺害の共謀をした者がいたとしても、Aには、当初からYを殺す意思がなく、他の被告人が、真実、Yを殺そうとしているのか認識していなかったし、現に、Y殺害の現場にも同行していなかったのであるから、Aについて、Y殺害の共謀が成立するいわれはなく、Aは、Y殺害に関しては無罪である、というのである(その詳細な主張につき、後記二の4)。

また、右の点に関するB関係の所論は、要するに、原判決は、被告人ら六名が、オートステーションにおいて、Y・Z子殺害等の共謀を遂げた旨認定しているが、同所で、被告人らの間に、Y・Z子を殺すことに関する会話があったことは事実であるけれども、それは、虚勢に駆られた、単なる格好つけの、まったく現実感の伴わない会話にすぎず、右両名殺害の決意をしていた者はいなかったのであるから、同所においては、いまだ、被告人ら六名の間に、Y・Z子殺害等の共謀は成立していない、というのである(その詳細な主張につき、後記二の4)。

さらに、論旨は、右のほかにも、量刑に関する事実の誤認として、A関係では、本件各犯行が計画的なものであるとはいえないし、B及びDによるZ子殺害(原判示第四の二)の際、Aが笑いを浮かべて傍観していた事実はない旨、B関係でも、本件各犯行の動機に関し、強盗未遂(原判示第一)や強盗致傷(同第二及び第三)の犯行は、被告人らの未熟さ、幼稚さ、場当たり的な行動傾向が如実に顕れているもので、原判決がいうような、明確な動機に基づいて行われたものではなく、殺人及び死体遺棄の各犯行も、予期せぬ事態に直面させられた人格的に未熟な被告人らが、意思疎通に欠けた人間関係の中で、次第に精神的、心理的に追い込まれていった挙げ句のものであり、大高事件の犯行の発覚を免れるためという、単純な動機に基づくものではない、また、犯行態様に関しても、Z子殺害の際に、Bが「綱引きだぜ」と口にしながら実行行為に及んだことはないし、Y・Z子の各殺害の際に、B及びDが「このたばこを吸い終わるまで引っ張ろう」と話し合いながら、平然と首を絞め続けた事実もない旨、それぞれ主張している。

二  そこで、まず、Y・Z子殺害及び死体遺棄の共謀について検討する。

1  原判決は、その事実認定の補足説明の項(第二)において、Aに関するY殺害の共謀の有無につき、Aの捜査段階における自白を除外した、関係証拠を総合した結論として、大要、次の(一)、(二)の事実を認定し、(三)の判断を示している。

(一) オートステーションの店内で、<1>Bが、Y・Z子に顔を見られていることから、「男はやっちゃおう。女はどこかへ売り飛ばそう。それができないときは、女もやるしかない」と両名の殺害を提案し、これを受けたCが、刺殺の提案をしたのに対し、「刺すと血が出て気持ちが悪い。甲野会の墓で首を絞めて殺し、埋めよう」と言い、Cも、これに同意し、<2>右の会話が本気なのか、疑問を持ったE子が、Cに、「まじ?」と尋ねたところ、「冗談で言えん」と言われ、最終的に、F子ともども、Bの前記提案に同意し、<3>Aも、Bから意見を求められると、終始、うなずいて賛同し、死体の処理方法が話し合われた際、コンクリート詰めにして海中に投棄する提案(いわゆる「生コン発言」)をした。

(二) Bは、<1>同店駐車場で、Dに、Y・Z子を殺害することになった旨を伝え、<2>Y・Z子を伴い、同日午前九時四〇分ころから午後五時ころまでの間、名古屋市中村区内の「ホテルロペ三九」(以下「ホテルロペ」という)で、D、E子及びF子と休憩した際、知り合いの暴力団組員に電話をして、Z子を売り飛ばす当てを尋ねたが、肯定的回答を得られなかった。

(三) そして、Aの公判で証人となったBの「オートステーションでの謀議は本気ではなかった」旨の供述と、同じく、証人となったC、E子及びF子の各供述内容を比較検討するなどした上、Bの提案にかかるY・Z子殺害等の共謀が、被告人ら六名の真意に基づくもので、冗談話ではないことは明らかであるとし、Aの公判での弁解及び弁護人の反論を、すべて排斥した。

2  しかし、昭和六三年二月二三日午前七時三〇分ころから午前八時ころまでの間に、オートステーションにおいて、被告人ら六名の間で、Y・Z子殺害及び死体遺棄の共謀が成立した、とする原判決の右認定(以下「原認定」という)には、合理的な疑いを入れる余地が残り、これを是認することはできない。その理由は、以下のとおりである。

3  まず、原判決挙示の関係証拠及び当審における事実取調べの結果を総合すれば、所論指摘の個々の問題点に関連し、次の(一)~(五)の事実を認めることができる。

(一) 大高事件直後の、二月二三日午前六時すぎころ、B及びCは、前記大高緑地公園の第一駐車場に入ってきたT某の車を認め、同人が被告人らの右犯行を目撃したか確認するため同車に近づき、事故によるトラブルを装って、証人になることを頼んだところ、同人に拒否され、目撃されてはいないと察知したものの、夜明けが迫り、右公園に散歩等で人が現れる時刻になっていたことから、同所から逃げることにし、その際、Z子をB運転の車に、YをC運転の車に、それぞれ押し込めて連れ去った。

(二) 被告人ら六名は、B車及びC車に分乗して名古屋市港区方面に向かったが、途中、同区内の空き地でいったん停車し、B、C及びDが下車した際、Bは、Yの車にぶつけられ破損したC車の弁償問題を切り出したほか、Cらに、「やりすぎて、まずい。どうする」「男は殺して、女は売るか」などと、虚勢まじりに、後始末の話をしたが、雨が降り出したので、話の続きをオートステーションですることにし、同所から発進した(Aがこの話合いに加わっていたかは、証拠上、不明確である)。

(三) 被告人ら六名は、同日午前七時三〇分ころ、オートステーションに到着し、B、C、E子及びF子の四名が店内に入り、Aも、当初、眠いからとB車に残っていたが、間もなく店内に入り、後に残ったDが、同店駐車場で、C車に移乗させたZ子及びYを見張ることになった。

(四) Dを除く被告人ら五名は、オートステーション店内喫茶部のテーブルに集まり、飲食しながら今後のことを約二〇分間ないし三〇分間相談した。主としてB及びCが話し合い、E子、A及びF子は、適当に相槌を打つような状況になり、その前半の話合いの中で、Bから「やるしかない。けがもひどいから、男はやっちゃう。女は売る」との話が出た際、E子が「まじ?本当にやるの」と尋ね、Cが「冗談でこんなこと言える訳ない」と怒るように答え、Bが「女についても、売れなかったら殺す」と言い、殺し方に関し、Cが、刃物で刺す提案をすると、Bが、「血が出て気持ちが悪いから、首を絞めればいい」と応え、死体の処理に関し、Bが、墓地に埋めるという話をした(ただし、E子の当審証言では、同所で殺す話がまとまったとは思っていない、という)。

話合いの後半は、大高事件の犯行の際に破損したC車の件を、車を貸してくれた上役の暴力団幹部にどう説明するかの話題となり、Cが、一応、酔っぱらい運転の車にぶつけられて逃げられた、という言い訳をすることになった。

なお、右の話合いの際に、Y・Z子の殺害場所が「甲野会の墓地」と決まったかの点については、これを肯定する証拠としては、Bの三月五日付け警察官調書及び同月一三日付け検察官調書(検乙二四、三一)、Aの同月一二日付け検察官調書(検乙一二)、Cの同月六日付け警察官調書並びに同月一三日付け及び同月一九日付け各検察官調書(検乙四三、五二、五六)、及びCの原審証言があり、否定するものとしては、Bの原審証言・当審供述、Aの原審・当審供述及びE子の当審証言がある(E子及びF子の各原審証言、各警察官調書及び検察官調書中には、右の点に関する証言及び供述記載は見当たらない)。同様に、Aの「生コン発言」があったかの点についても、これを肯定するものとして、前記第一の二の1、2で摘記したAの三月五日付け警察官調書及び同月一二日付け検察官調書(検乙三、一二)、Bの同月一三日付け検察官調書(検乙三一。ただし、誰が言ったかは覚えていない、としている)、Cの原審・当審証言(ただし、Cの警察官調書及び検察官調書には、生コン発言の供述記載はまったく見当たらない)及びE子の原審証言があり、否定するものとしては、Aの原審・当審供述(生コン発言をしたことはあるが、それは後記の喫茶店「カフェ・ド・ピーク」西側の駐車場においてであり、オートステーションではしていない、とする)、Bの原審証言・当審供述及びE子の当審証言がある(F子の原審証言、警察官調書及び検察官調書中には、右の点に関する証言及び供述記載は見当たらない)。

右の各点に関する以上の各供述証拠を検討するに、いずれも客観的裏付けを欠くものであることはもちろん、供述内容を吟味しても、各人の明確な記憶に基づくものとはいえないばかりか、別の機会の発言が、オートステーション店内での話合いの際の発言に置き換えられている疑いも払拭できないことなどに照らすと、オートステーションでの被告人ら五名の話合いの際に、Y・Z子殺害の場所が甲野会の墓地と決まったかの点、及びAが生コン発言をしたかの点については、いずれもこれを肯定するには合理的な疑いが残るものというべきである。

(五) 被告人ら五名は、同日午前八時すぎころ、順次、オートステーション店外に出たが、その際、Bは、同店駐車場において、C車から降りてきたDに、Y・Z子を殺すことに決まった旨を告げ、Dもこれを了承した(ただし、Dの原審及び当審の各証言では、「軽返事で賛成したが、冗談と思っていた。その後、「すかいらーく」のとき、甲野会の墓で殺すと聞いて、本当と思った」とされている)。

右の(一)ないし(五)の各事実と、その後、B及びDが、二月二四日午前四時三〇分ころ、愛知県愛知郡長久手町所在の卯塚公園墓地において、Yを絞殺し(E子及びF子が同行)、次いで、翌二五日午前三時ころ、三重県阿山郡大山田村内の山林私道において、Z子を絞殺している(A、E子及びF子が同行)事実とを総合すれば、オートステーションにおいて、Bが、大高事件の犯行の発覚を免れるため、Y・Z子の殺害等を提案し、A、C、E子及びF子が、これに賛同し、Dも、Bからその旨を伝えられ、被告人ら六名が、Y・Z子殺害等の共謀を遂げた旨の原認定は、被告人ら六名の各警察官、検察官調書及びCらの各原審証言などをふまえた、外形的な事実に則して考察すれば、一応、そのような見方もできないわけではない。

4  これに対して、所論は、種々の論拠を挙げて原認定を論難しているので、その主なものを、おおむね時系列に沿って整理し、以下、順次検討することとする。

(一) 所論のうち、被告人ら六名が、大高緑地公園からY・Z子を拉致したのは、もっぱら、破損したB車及びC車の弁償問題の処理を図るためであった、との点については、Y・Z子の拉致を決めたBは、当審において、「もっぱら、破損したB車及びC車の弁償問題の解決を図るためであり、大高事件の犯行発覚は、当時、まったく考えていなかった」旨強調し、所論は、さらに、右犯行が、それ以前の、金城埠頭での二回のいわゆる「バッカン」と様相を異にし、被告人らの多くが、やりすぎたとの感想を持つほどにエスカレートした原因は、被告人ら六名に襲われたYが、逃げようとしてZ子所有の車を急に後退させ、C車及びB車と衝突し、両車を破損させたため、暴力団幹部の車を壊されたCや、購入したばかりの自車を壊されたBが、被害感情を募らせて激昂し、他の被告人らもこれに同調したことにあり、Y・Z子拉致の目的が、右車両の弁償問題の解決にあったことは明らかである、という。

しかし、右犯行がエスカレートした契機に関して、所論のいうところは理解できるとしても(Cの三月一二日付け検察官調書(検乙五〇)には、Cが木刀を手に「オヤジに借りた車を、どうしてくれるんだ」と、Bが鉄パイプを手に「買ったばかりの車を、どうしてくれるんだ」と、怒鳴りながら、こもごも男を殴った旨の供述記載がある)、被告人ら六名は、右事件の悪質かつ重大性を認識していたのであるから、その発覚を恐れる気持ちがなかったとはいえないこと、B及びCは、早朝トレーニングのために現場にやってきた前記Tに、巧みに接触し、犯行目撃の有無を確かめていること、現場に放置されたZ子車を端緒に、Y・Z子が、なんらかの犯罪に巻き込まれたものとして、捜査が開始されることは必至の状況にあったといえるが、より以上に、両名を現場に置き去りにすれば、その供述から、被告人ら六名の人相、着衣及び使用車両等が判明し、早期に検挙される危険性が高まることからすれば、Bが、主として、右犯行の発覚を免れる目的で、Y・Z子を拉致したことは明らかであり、現に、その後、Cともども、Yを交えた車の被害弁償の折衝を一度もしていないことに徴し、Y・Z子の拉致が、もっぱら、車の弁償問題を解決するためであったとは、とうてい考えられない。

(二) 所論は、当時、オートステーションの店内には、客の応接をする従業員がおり、客の出入りもあって、D以外の、被告人ら五名は、まとまりのない行動を示しており、五名同席で話をしていたのも短時間であって、殺人の共謀ができるような場所的雰囲気及び時間的余裕はなかった、という。

たしかに、同店従業員・A’子の警察官調書(検甲一七三)によれば、同日午前七時半ころ、五人の男女が入店し、午前八時すぎころ出ていくまでの間、いったん店外に出て戻ってきたり、電話をかけたり、トイレに行く者などがあって落ち着きがなく、シンナーの臭いもし、Aがうつむき加減で青白い顔をしていた以外は、おおむね陽気で、A’子に対して軽口を叩くなどしていた、というのであって、午前七時五〇分ころ店に入って、すぐ出ていったDを除く、被告人ら五名が同席して話を交わしたのも約二〇分間ないし三〇分間程度と短時間であり、また、かなり浮ついた雰囲気であったことが認められる。しかし、C、E子及びF子の各原審証言では、同店内での会話が、当初こそ冗談と思われたが、次第に深刻になって、真剣に話し合っている状況だったとされており、Dを除く、被告人ら五名の店内での言動やその場の雰囲気等の事情は、それのみでは、いまだ、同店内でY・Z子殺害等の共謀が成立した旨の原認定に、合理的な疑いを生じさせるものにはならない。

(三) 所論のうち、オートステーション店内でのBらの会話が、虚勢の張り合い、格好づけのもので、本気でY・Z子を殺害する意図はなかったとの点については、Bは、原審及び当審を通じ、店内での殺人に関する会話が本気ではなく、言葉だけのものだった旨の証言及び供述をし、Cも、当審において、店内での雰囲気は、物騒な話をしているということで、笑いは出なかったが、自分としては、本気でやるつもりはなかったので、Bを含め、ゲーム感覚で強がった言葉のやりとりをしていただけと思う旨証言しているところ(ただし、Cは、原審では、「あのときは本気でした」旨証言しているが、一方で「(その後)できれば(殺さない)まま終わらせたい、かかわりたくない、という気になった」とも証言している)、所論、はさらに、被告人らグループの人間関係、とくにBと、C・E子との間は、交友関係が浅く、互いに、その性格等を知らなかったことから、弱みを見せたくないという強気の論理が支配し、虚勢を張り合っていたもので、オートステーションにおけるY・Z子殺害に関する会話も、右の心理機制に基づく真意ではない発言が交わされたにすぎず、さらに、BがDに同店における話合いの結論としてY・Z子殺害が決まった旨を伝えたのも、同様に虚勢を張ったもので、真意ではない、という。

右の点は、同所における被告人ら六名の言動が、殺人の共謀が成立したものと評価できるものか、及び被告人ら六名各自の真意に沿うものか、を理解する上で、慎重な考察を要する事柄である。

すなわち、被告人ら六名の犯行時の年齢は、A・二〇歳一か月、B・一九歳六か月、C・一八歳一か月、D及びF子・各一七歳一か月、E子・一七歳七か月で、暴力団加入歴も、A・約八か月(現役)、B・約一年(本件の三か月前に無断脱会)、C・約二か月(現役)及びD・約六か月(本件の前月に無断脱会)となっており、A、B及びDは、同じ山口組系暴力団に、Cは、同系の別の暴力団に所属していたもので、Aら三名には窃盗関連の、Cには恐喝の、各前歴があり、女性のE子及びF子も、組員らとの交遊歴があって、被告人ら六名が、深く根づいたものとまではいえないが、強気の、虚勢を張り合う、暴力団的思考・行動に親しみ易い性格を有していたことがうかがえる。

そして、被告人ら相互の関係をみると、B、Dは、F子を交え、同じアパートに同居し、建築会社のとび職として共に働いていたもので、三者の一体感はあるが、暴力団に残っているAとの間では、それなりの交流はあっても、明確な上下関係はうかがえず、Aを含め、とくに、Cとは、前年の夏ころ名古屋市中区栄のテレビ塔周辺で顔見知りになったもの、E子とは、本件の数日前に初めて紹介されたという程度のもので、Bの指揮・命令下に動く統制のとれた組織的集団とはまったく異なる、本件の際にたまたま行動を共にしたグループであって、弁護人の強調する虚勢の張合いが、程度は別として、被告人ら六名の間に介在したことは、肯認できる。

オートステーションにおいて、被害者らの刺殺を提案したCが、その例で、同人の原審証言でも、大高事件の興奮を引きずったまま格好づけの発言をしながら、同店を出てホテルロペでBらと別れてからは、Bからの連絡を意識的に避け、Y・Z子問題の決着を先送りにし続けたことが明らかで、結局、両名の殺害をB及びDに任せたことは、大高事件の発覚を恐れる気持ちはあっても、Cの真意としては、自ら、殺人等まで実行する気がなかったことをうかがわせるものである。

A、D、E子及びF子についても、同様のことは、程度の差はあるが、原審における各供述、証言に現れており、BのY・Z子殺害等の提案に、話を合わせ、相槌を打ち、うなずくなどの賛意を表しつつも、各自が、殺人等の重大性を現実のものとして意識していたかの点は、判然としていない(E子は、被害者両名を放置して、知人の許に逃亡する手筈を考えていたことがうかがえる)。

これに対し、Bについては、本件で逮捕されて間のない二月二六日付け上申書、各警察官調書及び検察官調書を総合すると、大高事件直後の早い段階から、警察に捕まることを恐れる余り、拉致しているY・Z子の殺害を考え始めた形跡があり(前記3の(二)の港区内の空き地での会話参照)、それが、オートステーションでの提案で顕在化したものと認められる。

その裏付けの一端が、同所での話合いに出た「Z子の売り飛ばし」先の有無につき、同店内及びその後休憩したホテルロペの客室から、二度にわたり、暴力団の知合いに電話で打診するという行動で示されており(ただし、これが実現すると、売られたZ子の口から、被告人らの犯行が警察に通報される機会を、より強く与えることになり、「大高事件の発覚を免れるため」Y・Z子を殺す謀議をした旨の動機と矛盾することになる)、なによりも、オートステーション店内における話合いが、現実に、悪質かつ重大な大高事件の犯行に引き続き、受傷している被害者らを拉致し、店外でDに見張らせるという状況下のものであることからすれば、同店内での会話の雰囲気を、「最終的には、本気のように受け取った」旨のE子及びF子の各原審証言をも併せ、Bに関する限り、その真意に基づくもので、他の被告人も、Bの意図を察知しながら、表面的には、そろって賛同の意を表したものといえる。

(四) 所論は、オートステーション店内での話合いにおいては、Y・Z子を殺害する具体的時期、場所及び実行行為の役割分担という、殺人の共謀共同正犯の成否に重要な本質的事項がなんら決まっておらず、このことは、右の時点では、いまだ、両名殺害の共謀が成立していなかったことを推認させるものである、という。

同店内の話合いにおいて、Bが、男は殺して、女は売れなかったら殺す、との提案をし、A、C、E子及びF子も、強弱はあるが、これに賛同したこと、殺し方として、首を絞めることに、死体処理の件も、墓地に埋める話になったことは、先に認定のとおりであるが、右の話合いにおいて、売れなかったらとの条件付きの「Z子殺し」はともかく、「Y殺し」についても、いつ、どこで、誰が実行するのかについては、具体的なことが、まったく決められていなかった上、その後の事態の推移、ことに、A、Cという、被告人ら六名の中でも、Bを別にすれば、最も頼りになる筈の両名が、相次いで集団から別れていく際、Aには翌朝一〇時に、Cには当日午後四時以降に連絡をする旨を決めたに止まり、Y・Z子殺害の計画を、どのように実行に移すのかについては、Aを抜きにし、なんらの打合せや連絡もしないまま、その後の「すかいらーく」におけるCとの謀議をふまえ、結局、B、Dのみ(E子及びF子は、右謀議に基づき、現場に同行しただけである)でY殺害が実行されたことに照らすと、オートステーションで成立したとされるY・Z子殺害等の共謀が、Aを含む、確定的かつ現実的な、共謀共同正犯としての実体を備えたものであったと認定するには、なお疑念を入れる余地があるものである。

(五) 所論は、Bらは、オートステーション出発後、受傷しているY・Z子をホテルや喫茶店等の人目につくような場所へ出入りさせ、B車に乗せて走り回るなどしており、このような行動は、犯跡隠蔽のために両名の殺害を決意した者の行動として理解できず、このことは、翻って、前同所におけるY・Z子殺害等の共謀が成立していなかったことを推認させるものである、という。

しかし、外見上、受傷が明らかであったのは、Yの頭部からの出血で、Bらとしては、右両名を人目にさらしても、直ちに、第三者に犯罪がらみの不審の念を与えるとは考えていなかった形跡が認められ(現に、Bらが休憩したホテルロペの従業員も、怪我をしているY・Z子の様子に不審の念を抱いたが、すぐには警察に通報することをしなかった)、また、Bらは、マスコミ報道に注意を払っていた様子がなく、警察の捜査が早期に開始され、被告人らに及んでくるようなことはない旨、たかをくくっていたふしがうかがえ、このことも、Bらが、一見、無頓着な行動をしていた理由とも考えられるので、右のような行動が、原認定を妨げるものとまではいえない。

(六) 所論は、Bは、二月二三日夜、名古屋市緑区内の「コイン洗車大高」で、Yに、車の修理代を支払う旨の誓約書を書かせているが、殺害を予定している相手に金員の支払いを誓約させるのは矛盾である、という。

しかし、Dの当審証言によれば、内容は見ていないが、Yになにか書かせていたので、帰すのかなと思って、Bに尋ねたところ、にやっと笑って「ばか、帰すわけないだろう」と言ったというのであり、B自らも、誓約書を書かせて、いずれ帰してやると言っておけば、逃げ出すことはないだろうと思ったからであり、また、後で使い道があるかも知れないと思ったためでもある旨捜査段階で供述していること(三月五日付け及び同月一六日付け各警察官調書、並びに同月一三日付け検察官調書(検乙二四、二七、三一))に照らすと、右の点も、共謀の原認定と、必ずしも相いれないものではない。

(七) 所論は、Bが、二月二四日午前二時半ころ、「すかいらーく」において、Z子を一人で行動させ、さらに、B及びCが、話合いの上、結果的には短い時間であったが、Y・Z子をいったん解放していることは、少なくとも、この時点までは、Y・Z子の殺害を確定的に決意していたものではなく、むしろ解放の方便を探りながら行動していたことを推測させるものである、という。

右の点に関して、原判決は、その事実認定の補足説明の項(第二の四の3)において、Z子を一人で行動させたのは、同女がYを残したまま逃走することはあり得ないと考えたためであるし、BがYに「もう帰したる」と言ったのは、BとCが、被害者両名の具体的な殺害方法を話し合っているところに、Yが通りかかり、「帰ってよいか」と尋ねたため、とっさに、Bが言ったもので、その後直ちに被害者両名を連れ戻しているので、オートステーションにおける共謀成立の認定は覆るものではない旨説示しているが、右の結論は、以下の理由により、是認できない。

すなわち、Bは、二月二三日午後一一時ころ、名古屋市港区内の「カネミ食品十一屋店」付近のガード下で、やっと連絡が取れたCと出会い、「どうする?もうこれ以上(Y・Z子を)連れて歩けん。やるんだったら今日やろう。いつやる?」と迫り、Cの都合がつかなかったことから、翌二四日午前二時ころ「すかいらーく」で会う約束をして別れ、その時間潰しの間に、Z子やYに、真意とは疑わしいが、「Cが来たら話し合って帰す」旨話していた。同日午前二時半ころ、同店のトイレで、Bは、C及びE子に、「もう限界だ。(女を含め)早くやっちゃおう」と再び迫り、「連れを送るので、午前四時以降ならいい」旨ためらうCと二人になった際、「どうする?やらんのだったら、よく口止めして帰すか」と問いかけ、Cが「それでもいい」と答えたことから、その場に来合わせたYとCが話し合い、車の破損等は互いにチャラにし、警察関係の問題も、Yが適当にごまかすことで話がつき、Bが、Yに帰ってよいと伝え、自動車免許証及びキャッシュカードの返還も認めた、というのであって、Bの原審(証言を含む)及び当審における供述は、C、Dの原審及び当審の各証言に符合するもので、とくに、Cの三月五日付け警察官調書(検乙四二)には、その経緯が具体的かつ自然に記述されており(これを「口から出任せ」と否定するCの三月一三日付け検察官調書(検乙五二)は、内容が不自然で信用できない)、これらを総合すると、Y・Z子の解放は、Bらの真意に基づくものと認められ、B及びCの右言動は、オートステーションにおいて、Y・Z子殺害等の共謀が確定的に成立していた旨の原認定に対し、合理的疑いを入れる余地があることを示すものである。

(八) 所論は、Bが、オートステーション出発後、Cには、二三日夕刻から、執拗に連絡を取ろうとしていたのに対し、Aには、翌二四日午前一〇時ころまで、何の連絡もしていないのは、被告人ら六名、とくに、B、Cの間では、破損したB車及びC車の弁償問題の処理が決着を要する課題であったことを示している、という。

そこで検討するに、Bは、二月二三日の午後三時半ころから、ホテルロペの電話で、七回にわたり、Cへの連絡を図ったものの、通じず、同日午後五時ころ、Y・Z子を伴い、D、E子及びF子ともども、同所を退出してからも、喫茶店「まいか」及び「TOTO」からの電話で、何回となくCと連絡を取っていることが認められるが、他方、Cとの電話では十分な話ができなかったことから、右(七)のように、翌二四日午前二時半ころ、「すかいらーく」にCを呼び出し、Y・Z子の処置に関する決断を迫り、さらに、すでに、組幹部へのCの虚偽の弁解が通り、車の件が解決していたにもかかわらず、これを、Cも知らせなければ、Bも尋ねなかったことに徴すると、右の所論は採用できないが、反面、右(七)のとおり、「すかいらーく」において、Cとの間で、Y・Z子に対する処置を話し合い、同人らを一時的に解放しているなどの経緯にかんがみると、BのCに対する連絡の目的が、オートステーションで成立したY・Z子殺害等の共謀を具体的に実行に移すためであったと断定することもできない。

(九) 所論は、Aは、オートステーションを出た後、当時、住んでいた名古屋市中村区内の「コーポ丙野」付近まで送ってもらい、Bから「明日一〇時に連絡する」と言われて居室に戻ったところ、翌二四日午前一〇時ころ、Bからの電話がかかり、「今日ひま?夜一〇時に行く」というので、Aも「たぶん大丈夫だから、そのころ迎えに来て」と答えたにすぎず、その後は、組本家に顔を出し、散髪に出かけ、再び本家に戻ったところ、当夜の泊まりを言いつけられ、組事務所に詰めていたもので、このようなAの、オートステーションを出た後の行動は、同所において、Aを含めた被告人ら六名の間に、Y・Z子殺害の共謀が成立した旨の原認定とは、あまりにも、そぐわない行動である、という。

そこで検討すると、たしかに、原認定を前提にすれば、Bは、二三日の朝方、集団からいったん別れたA及びCを、その日の夕刻以降、呼び出して、被告人ら六名全員が、そろって、Y・Z子の殺害に着手する具体的な詰めをすることになる筈である(Dの三月一二日付け検察官調書(検乙七〇)には、Bが「ホテルで夜まで待とう」といったので、二人を、夜、殺すことに決まったと思った旨の、Cの三月一四日付け検察官調書(検乙五三)には、「(Bらが、Cに連絡をとり、Cと)一緒になってからアベックを殺そうとしていると思ったので、(ポケベルの番号をBに教え)、午後四時ころ連絡するよう頼んだ」旨の各供述記載がある)。

ところが、Aは、昭和六三年一月から暴力団の会長付き親衛隊員の役に就いていたが、二月二二日の夜から同月二四日の昼までは、フリーの身で、Bらと行動を共にすることが十分可能であったのに、二三日午前八時すぎころ、オートステーションからの帰途、眠いとの、単純な理由から、車で居室近くまで送らせており、Bも、ホテルでの同宿を求めることなく、Aの離脱を容認していること、Bは、Aと別れる際、「明日一〇時に連絡する」旨、約二六時間後の連絡を告げたのみで、翌二四日午前一〇時ころ、Aに電話をするまでの間、Aに、Y殺害に関する連絡をとったり、車で、Aの居所に赴き、呼び出そうとした、というような動きがないこと(Bの捜査段階及び当審の供述においても、二三日午後八時半ころから午後一〇時ころの間に、二回、喫茶店「TOTO」から電話で連絡を取ろうとした旨のものにとどまっている)、二四日午前一〇時ころのBからの電話で、当夜一〇時ころにAを迎えにいくことは約束されたが、右の電話で、すでに実行ずみのY殺害の事実が、Aに告げられたとまでは認定できないこと、二四日午後一〇時すぎころ、名古屋市中村区本陣通の喫茶店「カフェ・ド・ピーク」西側の名古屋競輪場駐車場で、Aは、迎えにきたBから、すでにYを殺害した旨知らされて驚きを示し、B車のトランクに積み込まれていたYの死体を確認したこと、などの事実が認められる。

これらの事実は、いずれも、オートステーションにおける、Aを含む被告人ら六名の間で、すでに、Y・Z子殺害等の共謀が成立していたとするならば、これと矛盾ないし整合しない、強い疑問点といわなければならない。

5  以上に検討したところを総合して判断するに、前記のように、オートステーション店内での、Bら被告人五名の話合いでは、Y・Z子殺害等に関する犯行時期、場所及び実行行為の役割分担という、殺人の共謀共同正犯の成否を判断する上で重要な事項につき、これが話し合われ、具体的な結論が出た形跡がないこと、B及びCによる「すかいらーく」におけるY・Z子の一時的解放が、Bらの真意に基づくものと認められること、とくに、Bらと別れた後の、Aの行動には、Cとの比較において、Y殺害前の、Bからの連絡状況等の希薄さを含め、オートステーションにおいて、Aを含む被告人ら六名の間に、Y・Z子殺害等の共謀が成立した旨の前提とは、相いれない状況が顕著に現れており、Aが共謀共同正犯として加担したものと断定できる、共謀成立後の情況事実が欠落していること、などの諸事情を併せ考慮すると、Y・Z子殺害等の共謀の成立時期、場所及び共犯者の範囲に関する原判決の前記認定には、いまだ、合理的疑いが残るものといわざるを得ない。

この点に関する事実誤認の各論旨は、いずれも理由があり、その余の論旨(量刑不当の各論旨を含む)を検討するまでもなく、原判決は、被告人両名に関する部分につき、破棄を免れない。

第三  自判

一  前記第二の二に説示したとおり、Y・Z子殺害及び死体遺棄に関する共謀の成立時期、場所及び共犯者の範囲に関する事実誤認の各論旨は、いずれも理由があるから、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決中被告人両名に関する部分を破棄した上、同法四〇〇条ただし書を適用して、当裁判所において更に判決する。

(原判示第四の一、二、三の各事実に代えて当裁判所が新たに認定した事実)

一  昭和六三年二月二四日午前二時三〇分すぎころ、名古屋市熱田区《番地略》所在のレストラン「すかいらーく」熱田一番店の駐車場において、Bが、前日来、原判示第三の犯行場所である大高緑地公園から連行し続けてきたY・Z子を、右犯行の発覚を免れるため、暴力団甲野会会長の墓のある墓地で殺害し土中に埋めることを図り、C、D、E子及びF子が、順次これに賛同し、五名共謀の上、同日午前四時三〇分ころ、愛知県愛知郡長久手町大字長湫字卯塚二五番地所在の卯塚公園墓地D一区画内西側において、B及びDが、正座させたYの頚部に青色ビニール製洗濯用ロープ(当庁平成元年押第五一号の八)を二重に巻きつけて首の前で交差させ、同人の左側にBが、右側にDが立って、それぞれ右ロープの両端を持ち、Yが「やめて下さい。助けて下さい」などと哀願するのを無視し、二回にわたり、左右から右ロープを強く引き合い、合計約二〇分間絞め続け、その場で同人を右絞頚に基づく窒息により死亡させて殺害した。

二  同日午後一〇時四〇分ころ、名古屋市中村区本陣通《番地略》所在の喫茶店「カフェ・ド・ピーク」西側の名古屋競輪場駐車場において、Bからの誘いを受けたAが、右一のBら五名のZ子に関する殺人、死体遺棄(Yの分を含む)の共謀に加担し、六名共謀の上、翌二五日午前三時ころ、三重県阿山郡大山田村大字上阿波字奥那須ケ原九九八番地所在の山林内私道上において、B及びDが、下着一枚の姿にさせて座らせたZ子の頚部に、青色ビニールひも(同押号の九)を二重に巻きつけて首の前で交差させ、同女の右側にBが、左側にDが立って、二回にわたり、左右から右ビニールひもを強く引き合ったが、これが外れたため、さらに、右一のY殺害に使用した洗濯用ロープを同女の頚部に三重に巻きつけて首の後で交差させ、右と同様に、二回にわたり、左右から右ロープを強く引き合い、合計約三〇分間絞め続け、その場で同女を右絞頚に基づく窒息により死亡させて殺害した。

三  右二において成立した共謀に基づき、同日午前三時三〇分ころ、あらかじめ右二の私道付近に掘っておいた約一・五メートル四方、深さ約〇・九メートルの穴に、A、B及びDにおいてYの死体を、次いで、B及びDにおいてZ子の死体を順次投げ込んだ上、A、B及びDにおいて、右穴を土砂で埋めて右両名の死体を遺棄した。

(右認定事実についての証拠の標目)

《略》

(法令の適用)

1 罰条

(一) 被告人両名について

<1> 原判示第一の行為 被害者ごとに刑法(ただし、平成七年法律第九一号による改正前のもの。以下同じ)六〇条、二四三条、二三六条一項

<2> 同第二の行為 被害者ごとに同法六〇条、二四〇条前段

<3> 同第三の行為のうちYに対する強盗致傷の点 同法六〇条、二四〇条前段

<4> 当裁判所が認定した前記二の行為 同法六〇条、一九九条

<5> 当裁判所が認定した前記三の行為 死体ごとに同法六〇条、一九〇条

(二) Bについて

<1> 原判示第三の行為のうちZ子に対する強盗致傷の点 同法六〇条、二四〇条前段

<2> 当裁判所が認定した前記一の行為

同法六〇条、一九九条

(三) Aについて

原判示第三の行為のうちZ子に対する強盗強姦の点

同法六〇条、二四一条前段

2 科刑上一罪の処理

原判示第一の行為について、刑法五四条一項前段、一〇条(犯情の重いV子に対する罪の刑で処断)

3 刑種の選択

(一) Bについて

<1> 原判示第二及び第三の各罪について、いずれも有期懲役刑

<2> 当裁判所の認定した前記一及び二の各罪について、いずれも無期懲役刑

(二) Aについて

<1> 原判示第二及び第三の各罪について、いずれも有期懲役刑

<2> 当裁判所の認定した前記二の罪につき、有期懲役刑

4 併合罪加重

(一) Bについて

刑法四五条前段、四六条二項本文、一〇条(刑及び犯情の最も重い当裁判所の認定した前記二の罪の刑で処断し、他の刑を科さない)

(二) Aについて

同法四五条前段、四七条本文、一〇条(刑及び犯情の最も重い原判示第三のZ子に対する罪の刑に同法一四条の制限内で加重)

5 宣告刑

Bを無期懲役に、Aを懲役一三年に処する。

6 原審における未決勾留日数の算入(A関係) 刑法二一条(四〇〇日算入)

7 没収

刑法一九条一項二号、二項本文(当裁判所の認定した前記二の犯行の用に供したものとして、Bから中古青色ビニール製洗濯用ロープ一本(当庁平成元年押第五一号の八)を、B及びAから中古青色ビニールひも一本(同押号の九)を各没収)

8 被害者還付

刑訴法三四七条一項

9 訴訟費用の不負担(被告人両名に関する原審及び当審分)刑訴法一八一条一項ただし書

(一部無罪の理由)

本件各公訴事実のうち、被告人Aに対する昭和六三年三月一九日付け起訴状公訴事実第二の一の事実は、「被告人は、Bほか四名と共謀の上、昭和六三年二月二四日午前四時三〇分ころ、愛知県愛知郡長久手町大字長湫字卯塚緑地公園内墓地区域において、殺意をもって、Y(当時一九歳)を地上に正座させ、B及びDの両名において、Yの頚部にビニール製ロープを二重巻きとしてその両端を強く引っ張り、よって、そのころ、同所において、同人を絞頚による窒息により死亡させた」というのであるが、Y殺害について、Aに、Bほか四名との共謀が成立したと認められないことは、前記第二の二に説示したとおりであるから、右事実については、刑訴法三三六条により無罪の言渡しをする。

二  A及びBに関する当審の量刑理由

1  右一の原判決の破棄自判に当たり、当審の量刑理由を示すことにするが、まず、原判決の量刑に関する弁護人及び検察官の量刑不当の各論旨の要点等を、参考までに取り上げてみる。

(一) A関係(原判決・懲役一七年)

(1) 弁護人の所論は、AはBに誘われ「バッカン」に同調したもので、共謀及び実行行為の両面でも、常に消極的、追随的であったこと、金城埠頭の事件から前記オートステーションまでの間及びその前後は、シンナー吸入の影響により、犯行等の現実的認識が相当減弱していたこと、Y・Z子殺害の共謀は、BとCの各車両の破損を契機に、両名の意思を軸に展開されたもので、Bに次ぐ影響力を持っていたCが懲役一三年になっていること、Aの、不遇な生育歴、本件犯行後における反省・悔悟の深さ及び更生の意欲等を考慮すれば、原判決の量刑は、重きに失し不当である、というものである。

(2) 検察官の所論は、本件各犯行が、稀にみる極悪非道の重大事犯で、動機の自己中心性、冷酷非情性、手段態様の執拗残虐性(とくに、Y・Z子の殺害・死体遺棄は、鬼畜の仕業と断じざるを得ない、という)、結果の重大性、被害者やその遺族に与えた打撃の深刻さ及び社会に及ぼした甚大な影響等からすれば、Aには無期懲役以外に科すべき刑はなく、暴力団幹部の配下にいた最年長のAは、Bに比べ、Y殺害の現場に赴いていなかった点において、わずかに量刑上考慮し得る事情があるにすぎず、死体遺棄の場所を提案したり、Z子殺害の現場においては、B、Dとの三人交替で死体を埋める穴を掘り、B、Dの実行行為前には、懐中電灯で必要箇所を照らし、卑劣にも自らの手を汚さず、事後にはZ子の死を確かめ、三人でY・Z子の遺体を穴に埋めて遺棄するなどの、積極的役割を果たしていたものであるから、原判決の量刑は、軽きに失し不当である、というものである。

(二) B関係(原判決・死刑)

所論は、犯罪時に少年であった者の刑事事件の量刑基準は、少年法の趣旨に則り、成人事件における犯行の動機、態様、被害結果、社会的影響及び前科の有無などといった一般的な量刑要素に加え、生育歴、人格的成熟度及び矯正可能性などといった主観的、個別的要素が重視されるべきで、とくに、死刑を科するか否かの判断に際しては、成人事件に比し、高度の慎重さが要求されるのに、原判決は、本件犯行が「精神的に未熟な少年らが集団を形成し、相互に影響し合い、刺激し合い、同調し合って敢行したものである」との基本的犯罪特徴を認めながら、これを具体的な事実認定及び量刑判断に反映させておらず、本件を展望すると、遊び感覚のアベック襲撃事件(強盗未遂、強盗致傷、強盗強姦)と、当初の予測を超えた、その後の殺人、死体遺棄とは、まったく異質の犯罪ではあるが、全体的に観察すれば、一連の流れの同一機会における犯行といえるもので、Bには、本件以前に、前科はもとより、窃盗関連の保護観察処分及び不処分以外に、粗暴犯の前歴は、ひとつもなく、その少年調査記録では、「共犯者六名が、それぞれの問題を持ちながら、相互に作用し合ってなされた集団犯罪で、Bひとりでは、ここまで凶悪な犯罪を犯さなかったもの」とされ、鑑別結果でも、凶悪粗暴な犯罪的危険性の強さを示す性格特性は指摘されておらず、原判決が、Bにつき、本件各犯行の「首謀者的地位」にあり、「犯罪性も根深い」と認定したことには誤りがあり、犯行後及び公判段階におけるBの反省及び改悛の情の深さ、とくに、矯正可能性の存在等を考慮すれば、原判決の量刑は苛酷である、というものである。

これに対する検察官の答弁の骨子は、Bは首謀者で、終始、集団を先導・統制し、中心的な実行行為に及んだもので、結果の重大性等に照らし、その生命をもって償わせるほか、Bに科すべき刑罰はない、というものである。

2  原判決が認定した事実(原判示第一ないし第三の各事実)、及び原判示第一の一、二、三、に代えて当審が新たに認定した事実に基づく、A、B、C、D、E子及びF子が、昭和六三年二月二三日から同月二五日の間に犯した本件各犯行の概要は、次のとおりである。

被告人ら六名は、二月二三日午前零時すぎころから、名古屋市中区栄のテレビ塔付近に、順次、たむろした際、Bの発案により、停車中の車内でくつろぐアベックを襲って金品を強取すること(被告人らの間で「バッカン」と称していたもの)を企て、B車(鉄パイプ、木刀各一本積載)及びC車(木刀四本積載)に六名が分乗して同市港区内の金城埠頭に向かい、

(一) 強盗未遂(六名共犯)

同日午前二時半ころ、Bの指示で、Dが、同埠頭名古屋港八二番岸壁に停車中の普通乗用自動車(男性・二〇歳、女性・一七歳乗車)の運転席窓ガラスを木刀で叩きながら、「出てこい」と怒鳴り、危険を感じて発進した被害車両に、Aが、木刀を投げつけて後部窓ガラスを壊し、さらに六名が、二台の車に分乗して、その後を追うなどしたが、被害者らが港警察署小碓派出所内に逃げ込んだため、未遂に終わり、

(二)強盗致傷(前同)

同日午前三時半ころ、右(一)で目的を遂げなかったことから、再度、金城埠頭に赴き、Dが、同埠頭名古屋港八一番岸壁に停車中の普通乗用自動車(男性・二五歳、女性・一九歳乗車)の運転席から男性を車外に引き出して手拳及び木刀で殴打し、A及びBも含め、順次、男性を足蹴りし、E子を除く五名が、木刀などで被害車両を乱打し、E子及びF子が、女性の頭髪を掴んで助手席から車外に引き出し、こもごも木刀で殴打するなどし、被害者らの反抗を抑圧した上、Bが、男性から現金八万六〇〇〇円を、女性から、F子が腕時計を、E子がトレーナー上着を、それぞれ強取したほか、右両名に、安静加療約一週間を要する頭部挫傷等の各傷害を負わせ、

(三)強盗致傷(被害者Yにつき・六名共犯、同Z子につき、B、E子及びF子の共犯)、強盗強姦(同Z子につき・A、C及びDの共犯)

同日午前四時半ころ、(右(二)の犯行後、前記テレビ塔付近に戻りながら、なおも同様の犯意の下に)名古屋市緑区内の大高緑地公園駐車場に赴き、停車中の普通乗用自動車(Y(一九歳)及びZ子(二〇歳)乗車)を認め、同車の右後方にC車を、左後方にB車を停車させて退路をふさいだ上、<1> 運転席から下車させたYを、場面を異にしながら、D及びAが所携の木刀で、Bが鉄パイプで、Cが木刀及び鉄拳で、F子及びE子がハイヒール及び木刀で、それぞれ殴打したほか、A、B、C及びDが、被害車両を乱打して窓ガラス等を壊し、Yの反抗を抑圧して、Bが現金一万円及びYの自動車運転免許証を、E子が現金一五〇円を、それぞれ強取し、右一連の暴行により、Yに対し、加療約二週間ないし三週間を要する頭部挫創及び左上肢打撲傷を負わせ、<2> E子及びF子が、助手席にいたZ子の頭髪を掴んで車外に引き出し、こもごも所携の木刀で乱打したり、足蹴りして、同女の反抗を抑圧し、上半身を裸にしたところ、<3> C及びDが、同女を強姦しようと共謀して付近の丘陵地に連行し、順次、強姦したほか、同所に出向いてきたAに誘いをかけ、Aもこれに加担し、同女を強姦し、<4> その間、Bが、被害車両から、Z子所有の現金一万一〇〇〇円等を、F子が同じく現金五三三円及び櫛等を、E子が同じく縫いぐるみ等を、それぞれ強取した上、E子及びF子が、<3>の現場から連れ戻されたZ子を全裸にし、「やきを入れたれ」とのBの示唆を受け、こもごも、たばこの火をZ子の胸部、背部及び肩付近に押しつけ、Dも、同女の胸部にたばこの火を押しつけ、その陰部にシンナーを注ぎかけるなどし、右一連の暴行により、同女に対し、加療約一週間を要する背部及び胸部の火傷(第二度)を負わせ、

(四) 殺人、死体遺棄(六名共犯・ただし、Yの殺人につきAを除く。なお、Y・Z子の殺人、死体遺棄につき、Cは、いずれも共謀共同正犯)

(1) 翌二四日午前二時半すぎころ、同市熱田区内のレストラン「すかいらーく」熱田一番店の駐車場において、Bが、前日来、大高緑地公園から連行し続けてきたY及びZ子を、右(三)の犯行の発覚を免れるため、暴力団甲野会の墓地で殺害し土中に埋めることを図り、C、D、E子及びF子が、順次これに賛同し、五名共謀の上、同日午前四時半ころ、愛知県愛知郡長久手町地内の卯塚公園墓地において、B及びDが、Yの頚部に洗濯用ロープ(ビニール製)を巻きつけ、同人が「助けて下さい」などと哀願するのを無視し、左右から右ロープを引き合って(二度にわたるもの)約二〇分間絞め続け、同人を窒息死させて殺害し、

(2) 同日午後一〇時四〇分ころ、名古屋市中村区本陣通の喫茶店「カフェ・ド・ピーク」西側の名古屋競輪駐車場において、Bからの誘いを受けたAが、前記Bら五名のZ子に関する殺人、死体遺棄(Yの分を含む)の共謀に加担し、翌二五日午前三時ころ、三重県阿山郡大山田村の山林内私道において、B及びDが、下着一枚にさせたZ子の頚部に、ビニールひも及び洗濯用ロープ(ビニール製)を順次巻きつけ、左右から右のひも、ロープを順次引き合って(前後各二度にわたるもの)約三〇分間絞め続け、同女を窒息死させて殺害し、

(3) 同日午前三時半ころ、右(2)の私道付近に掘っておいた穴に、A、B及びDが、Y及びZ子の死体を順次投げ入れ、土砂で埋めて遺棄した、

というものである。

3  そこで、本件全体を通じての、量刑に関連する主要項目を取り上げ、順次、検討・評価を加えることにする。

(一) まず、本件各犯行の動機についてみると、被告人らは、いずれも「噴水族」又は「テレビ塔族」と呼ばれ、名古屋市中区栄のテレビ塔付近にたむろし、シンナー遊びや夜間徘徊等の不良行為を繰り返していた若者集団に属する者であり、本件の際も、深夜、右テレビ塔付近で、B・D・F子のグループ、A、及びC・E子のペアが、たまたま出会い、とくに、金銭に困っていたわけでもないのに、Bの提唱に全員が同調し、遊ぶ金欲しさや刺激欲しさに遊び感覚で「バッカン」を企て、強盗未遂及び二件の強盗致傷ないし強盗強姦の犯行を敢行し、さらに、Y・Z子に対する犯行の後には、その発覚を恐れる余り、Y・Z子を殺害し、その死体を土中に埋めて遺棄し、犯跡の隠蔽を図ろうとしたもので、他人の痛みや生命すらも意に介すことなく、短絡的に自らの欲求や目的の実現を追い求める態度が顕著であって、被告人らの年齢やその社会的成熟度等を考慮しても、斟酌すべきものはなにもない。

(二)原判示第一ないし第三の各犯行においては、被告人らは、深夜、人気のない埠頭や公園に自動車を停車させているアベックに狙いをつけ、二台の車を利用し、あらかじめナンバープレートにガムテープを貼って犯行の発覚を防ぐなどの準備をして、数時間内に三回にわたり、ほぼ連続的にアベックを襲っており、計画的犯行と認められる上、二台の車に積載した木刀や鉄パイプ等の凶器を用い、A、D及びE子がシンナーを吸い、六名が集団の力を暴発させながら、抵抗力に乏しい若い男女を執拗に狙い、痛めつけ、被害車両を叩き壊し、原判示第一の犯行は被害者らがとっさに逃げ出したため未遂に終わったものの、その後の同第二及び第三の各犯行では、四名の被害者から金品を強取したほか、C、D及びAがZ子に対する輪姦にまで及んでおり、犯行態様の悪質、危険かつ無軌道ぶりには、目に余るものがある。

そして、Y・Z子殺害の犯行においては、原判示第三の犯行により受傷したYを一昼夜、Z子については二昼夜の長時間にわたって連れ回し、結局、右犯行の発覚による処罰を恐れ、相次いで殺害したものであり、抵抗の気配も見せず、「助けて下さい」と哀願するYや、同人の死体を見せられ、もはや観念しているZ子に対し、確定的殺意をもって、その頚部を洗濯用ロープ等で絞扼し、死亡を確認するまで絞め続けるなど、犯行の態様も残虐なものというほかない。

(三) 本件各犯行のもたらした被害についても、原判示第一の犯行においては、とっさに逃げ出した被害者らが派出所に助けを求めるまで、二台の車で約三〇分間にわたって執拗に追跡し、また、同第二の犯行では、金品を強奪したのみならず、被害者らに相当の怪我まで負わせるなど、責められるべき点のない二組のアベックに与えた物心両面に及ぶ被害が看過し得ないものであることはいうまでもない。

とりわけ、何の落ち度もないY・Z子に対し、徹底的にZ子車を破壊し、木刀や鉄パイプ等を用い、激しい暴行を加えて負傷させ、所持品を洗いざらい略奪し、あまつさえ、Z子に対しては女性の人格を踏みにじる陰湿な加害行為に及んだ上、同人らを拉致して長時間連れ回した挙げ句、理不尽にも、自分達が安易に犯した「バッカン」の発覚による処罰を恐れ、年若い二人(Aについては一人)の尊い生命を奪い、その死体を山中に埋没させて遺棄したもので、社会一般の通常人の感覚ではとうてい理解できない暴挙がもたらした結果の重大性は、本件の量刑に当たり重視されるべきものである。

(四) 被害者Yは、中学校を卒業後、理容学校で一年間学び、理容店での見習いをしながら理容師免許を取得し、将来は理容業を営む実父の跡をつぐことにしていたものであり、同Z子は、働きながら定時制高校を卒業し、Yと同じ店で見習いをしながら理容学校の通信教育を受け、理容師免許試験の準備をしていたもので、二人の交際は、双方の親族も認める、明るい、希望に満ちたものであったのに、被告人らの理不尽、凶暴な「バッカン」により、その夢を打ち砕かれ、とくに、これに引き続き、平穏に解放されることを期待し、手向かうことも、逃げることもせず、一昼夜(Y)から二昼夜(Z子)に及ぶ長時間の軟禁状態(とくに、Yが殺害され、それを察知した後のZ子は、極限的状況にあったものと推測される)に耐えていたのに、相次いで、その命を奪われたことは、あまりにも無残で、二人の精神的、肉体的苦痛の激しさ及び無念さには、言うべき言葉もない。

(五) また、若い二人の将来に期待を寄せていた双方の親族らに与えた衝撃も、深刻なものとなっており、捜査段階及び一審の公判廷において、「被告人らを一生恨む。全員死刑にして欲しい」旨の意向を示し、一審判決後も、検察官に対し、「Bの死刑は当然である。Aも、死刑にできなければ、せめて無期懲役にして欲しい」と訴え、一審の公判審理中、簡裁で成立した調停(B関係では、Bの両親が、Y及びZ子側に各一〇〇〇万円を連帯して長期分割弁済するというもので、平成八年一月現在の履行額は各三五五万円前後となっている。A関係では、Aが、将来の出所後、Z子の両親に、一二〇〇万円を長期分割弁済するというものである)について、「お金が欲しいからではなく、犯人や、その親たちが、いつまでも事件のことを忘れず、少しでも償いをして欲しいという気持ちから調停に応じたものである」旨その心情を吐露し、歳月の経過では癒されない遺族の悲痛な心の傷の深さ、被害感情の厳しさをうかがわせており、加えて、本件が、地域社会に及ぼした衝撃的な不安、影響の強さも無視することはできない。

(六) 反面、被告人らに共通の、斟酌すべき情状の主要点は、原判決が的確に指摘するように、本件各犯行は、「被害者らに与える損害及びその重大性を、必ずしも十分に認識し得ない精神的に未成熟な少年らが、集団を形成し、相互に影響し合い、刺激し合い、同調し合って敢行したもの」ということである。

本件犯行を理解する上で必要な生育歴は、原判決が(被告人らの身上、経歴及び犯行に至る経緯等)の項で、詳細に判示するとおりであって、被告人らは、もとより各人によって差異はあるものの、いずれも、不遇な環境の中で生育し、他人の痛み、苦しみへの認識、理解に欠けるすさんだ生活体験を経てきており、集団を形成すると、冗談と本気が、無造作に飛び交い、実行に突っ走る危険性を秘めていた。

原判示第一ないし第三の各犯行が計画的なものであることは前述のとおりであるが、その後に敢行されたY・Z子に対する殺人及び死体遺棄の犯行は、当初の予測を超え、エスカレートして行われたもので、稀にみる残酷で重大な結果をもたらした事件ではあるけれども、別個の機会に犯意を新たにしながら殺人を反復した事案と異なり、「バッカン」を起因とする、約四五時間にわたる軟禁の継続中に、順次、敢行された一連の流れに属する犯罪であるのみならず、当時一七歳から二〇歳の被告人らが、被害者らを拉致して連れ回すうちに、自らが惹き起こした事態の適切な解決への途を選択し得ないまま、次第に自縄自縛の状態に陥っていったと解される事情も認められるのであって、社会的に未成熟な青少年らの、短絡的な発想からの、無軌道で、思慮に乏しい犯行といえる性格を帯びており、綿密な計画に基づいて周到な準備を行い、これを冷徹に遂行した犯罪と評価すべき側面は見出しがたい。

4  Aの個別的情状を検討すると、まず、三件の「バッカン」に際して、前記のように、自ら積極的な行動を示しており、シンナー吸入の影響があったとしても、強盗未遂、強盗致傷(被害者三名)、強盗強姦という重罪に関与したことは、強く責められるべきである。さらに、Bからの懇請を受けてのこととはいえ、Z子の殺害及びY・Z子の死体遺棄の共謀に加わり、現場にまで同行した上、B、DによるZ子殺害の実行行為に際し、必要箇所を懐中電灯で照らすなどし、B、Dと死体遺棄の実行行為に及んだ点は、共謀の加担のみにとどめ、実行行為への参加を意識的に回避したCに比べ、Aの、殺人という重大事件への自己規制の弱さ、情性の鈍さを示すものにほかならず、その刑責は重いといわなければならない。

他方、Aは、当時、成人に達したばかりの青年で、窃盗非行による保護観察処分を受けた以外に、前科前歴はなく、昭和六二年七月ころ暴力団に加入し、会長の護衛役の一員になっていたが、本件に関しては、終始、暴力団では先輩格であったBに追従していたもので、Y殺害の共謀には加担していなかったほか、Z子に関する殺人の実行行為の分担を暗黙裡に拒んでいたこと、生い立ちが不遇で、養護施設等での生活歴を重ねながら、工員、新聞配達等の仕事に就き、自立を目指して努力をしていた時期もあったこと、及び本件犯行後、現在に至る間、反省の度を深めていることなど、斟酌すべき諸事情もあるので、これらを総合し、Aを懲役一三年に処することにした。

5  問題は、Bに対する量刑である。Bは「バッカン」を最初に提案して一連の本件事犯の契機を作ったのみならず、その後の被告人ら集団の動きを、事実上リードする役割を果たし、各強盗致傷事件では荒っぽい実行行為にも及んでおり、とくに、Y・Z子の拉致・軟禁は、Bの主宰で敢行・継続され、他の者らが、これを受容・追従する態様で発展し、悲惨な結末を生むに至ったもので、Bが首謀者的地位にあったことは明らかであり、ことに、C及びAが殺人の実行行為の分担を嫌がったからとはいえ、自ら、年下のDと共に、二人の尊い生命を奪うという、人間性に欠ける、残酷な行為を積極的に重ねた責任は重く、前記のような、犯行の動機、態様、重大な被害結果及び遺族の被害感情の厳しさ等を考慮すれば、Bに対しては、極刑をもってその罪の償いをさせるべきであるとの見解に、相当の根拠があることは否定できない。

弁護人は、死刑の違憲論を展開するほか、合憲であるとしても、犯行時、年長少年であった者について、矯正可能性が十分に認められる場合には、死刑を適用することは許されない旨主張するけれども、死刑の合憲性については、累次判例の示すところで、当審も同様の見解を採すものである。

矯正可能性に関して付言すると、最高裁判所は、犯行時一九歳三か月ないし一九歳九か月の年長少年が、一か月足らずの間に、米軍基地から盗んだけん銃で、警備員二名を射殺し(東京、京都各一件)、タクシー強盗を企て運転手二名を射殺して売上金等を強取した(函館、名古屋各一件)ほか、その五か月後にも、盗みの目的で金品を物色中、駆けつけた警備員を、逮捕を免れる目的で射殺しようとしたが、弾丸が命中しなかったという事案につき、「死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」旨の基準を示した上、当該被告人につき、生育歴及び精神的未成熟等を考慮して無期懲役に処した控訴審判決を破棄差戻している(昭和五八年七月八日第二小法廷判決・刑集三七巻六号六〇九頁)。

また、犯行時一九歳の少年に対し死刑が科せられた近時の裁判例として、いわゆる市川の一家四人殺害事件(強盗殺人の被害者三名、殺人の被害者一名、そのほか約五か月間に、傷害、強姦、強姦致傷、強盗強姦、恐喝及び窃盗を、合わせて一〇件犯したとされる)があり、当該被告人の、加齢及び矯正教育による改善可能性を否定し得ないとしながら、身勝手な動機、残虐・冷酷な犯行態様、結果の重大・深刻さ及び遺族の被害感情の峻烈さ等を挙げて、極刑を許容しており(千葉地裁・平成六年八月八日判決、東京高裁・同八年七月二日判決)、矯正可能性の有無は、年長少年についても、罪刑の均衡を検討する際の、行為者側の主観的量刑因子のひとつに止まるものとみるべきである。

さらに、弁護人は、本件において、遺族が極刑を望む旨の強い被害感情を抱くのは当然のことであるが、遺族が宥恕の意向を示すといった特殊な場合に、これを当該被告人に有利に斟酌するのは別として、極刑を望むという個人的応報感情を、死刑選択の積極的な理由にすることは、不当である旨主張するけれども、遺族の被害感情が、死刑選択の基準の重要な量刑因子のひとつであることは、前記の最高裁判例の認めるところであり、当審も同様に考えるものである。

しかし、犯行時に年長少年であったBについては、次の諸事情があることも、看過することができない。

Bは、中学生時にバイク盗で家裁の指導を受け、職業訓練校では教師への暴行問題で自主退学しているが、二年間は内装の仕事に専念し、昭和六一年一一月ころ暴力団の組員になり、食料品店への忍びこみ窃盗未遂で保護観察処分を受け、さらに知人宅での現金等の盗みにより補導委託付き試験観察に付され、不処分になるや組に舞い戻る、といった不安定な生活を続けていたが、翌年一一月ころ組を抜け、警察にも組からの脱退届を出して、とび職として働いていたもので、粗暴犯の前科前歴はなく、鑑別結果等においても、凶悪犯罪への危険性をうかがわせる著しい性格偏奇は指摘されておらず、本件各犯行の悪性等をふまえても、原判示のように「犯罪性が根深い」ものと断定することには疑問があり、当審における事実取調べの結果をも併せ、Bに矯正可能性が残されていることは肯定できる。

そして、本件が、精神的に未成熟な青少年の、無軌道で、場当たり的な、一連の集団犯罪で、とくに、殺人・死体遺棄事件は、同一機会の「バッカン」の延長線上で、当奄フ予想を超えエスカレートした犯罪であることは、前述のとおりであり、その中心にいたBにしても、犯跡隠蔽のためのY・Z子殺害を、当初から、確定的に決意し、共犯者らとの深い謀議に基づく、綿密な計画の下に実行したというようなものではなく、Cの出方によっては、事態の解決方法として、Y・Z子に口止めをした上での解放を考えていたことは、前記第二の二の4の(七)の「すかいらーく」熱田一番店でのB及びCの言動、及びこれに基づくY・Z子の一時的解放により裏付けられており、間無しに連れ戻してはいるけれども、斟酌できる情状のひとつである。

また、Bが、Cに殺害への加担を要請したものの、協力を得られなかったため、Dと二人だけで、Y・Z子の両名を一気に殺害して土の中に埋めることを決意し、E子及びF子を伴い、甲野会の墓地に赴いたのに、Yを殺害した段階で、不安、恐怖に駆られ、死体を車のトランクに入れ、現場から逃げ出し、あちこち車で回った後、Cのアパートに立ち寄り、さらには、Aを呼び出し、Z子殺害への加勢を求めていることなどは、Bが、殺人という行為の重大性を強く感じていたことをうかがわせるもので、人の生命に対する畏敬の念を持たず、平然と殺人の実行行為を重ねたものと評価することには、若干の疑義を入れざるを得ない。

さらに、Bが、本件犯行後、F子と二人で、Y・Z子に思いを致して涙を流し、拘置所での実母との面会時及び原審の公判廷で、反省の態度の芽生えがみられたことは、原判決の説示するところであり、六年有余に及ぶ当審の公判過程でも、人の生命の尊さ、本件の重大性及び一審判決の重みを再認識し、反省の度を深めていることもうかがうことができる。

以上の諸事情を総合すると、なんといっても死刑が究極の刑罰であり、最高裁判所が、前記のように死刑の適用基準を定め、各裁判所においても、これをふまえ、重大事犯につき、死刑の適用をきわめて情状が悪い場合に限定し、その是非を厳正かつ慎重に検討している現況にかんがみれば、本件のBに対しては、無期懲役をもって、矯正による罪の償いを長期にわたり続けさせる余地があるものと判断した。

よって、主文のとおり判決する。

平成八年一二月一六日

名古屋高等裁判所刑事第二部

(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 志田 洋 裁判官 川口政明)

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